仕事再開。自立と創造の海へ。
7月、8月と実家のサポートに専念しておりましたわたくしですが、
9月から仕事再開となりました。
この2か月の間に、私自身の立場と意識が大きく面舵いっぱ~い!>反転したのです。
母の認知症については、ゆるやかに進行中であり、わたしの存在は
家事全般を含め、父母の精神的安心感と依存心に役だっていたことは確かでした。
ですが、これまで実家のこれからのすべてを託された2か月前までの事情が、
独身となって、急遽帰って来ることになった弟に移行することになり、
私の立場は、これまでとはまったく違ったものになることになりました。
熟考した結果、弟が帰って来るタイミングでわたしは家を出るとこに決め
それを、先日の弟受け入れのための家族会議で<発表>したわけで。
それは<相談>ではなく<意思決定の報告>でありました。
そう結論を出したのには、わたしなりの理由がありました。
一瞬、家族全員茫然となり、父からは即、予想通りのダメ出しが来ました。
「家事はどうするんだ。母親をどうするんだ」
「おまえがいなければ、俺は自由に外出もできない」って。
母は今はまだ自立していて、介助、介護の必要はない状態です。
ただ、忘れ方が激しく、これについては日常生活には周囲の保護が必要になっています。
今、この時期に長男が帰って来ることは父の本望だとおもう。
だから、母がまだ自立している今、一旦わたしを私自身の
自立のための布石をつくれるよう、解放してほしいとはっきりと伝えました。
母のことは、父がしっかり看て上げてくれと。
弟は、一人暮らしの経済が安定できる職場の勤務ならば、チャンスは今しか
ないかもしれないとわたしの自立を肯定しました。
もちろん、そこには稼ぎ頭が自分しかいないことへの不安もあったでしょう。
「俺は、おまえをここに縛り付けるつもりはないよ」
父は最後には力無くつぶやき、すべてを諦め、覚悟をしたようでした。
そして、来年の春までには、わたしは実家を脱出することになりました。
母には、可哀そうな気もしますが
この3年間、娘としての出来得る限りのことをやってきた。
わたしは父母をこころから愛しています。
ここで、娘が家を出るなんてこと世間では選択肢にはないでしょう。
両親を捨てるなんて。 そのぐらいのことは言われそうです。
ただ、ひとつだけ、心に引っかかって何とかしたいと思っていたのが
父と母の間にある<溝>でした。
二人とも、真に今のお互いに向き合えないでいるのです。
お互いに失望し、愛していたことさえ忘れている。
ただ、父は義務として母を保護し、母は開き直ってわがまま三昧です。
わたしが間に入ることで、それが助長してしまうありさまでした。
この決断は、単に自立目的だけではなく
わたしがいなくなって、母には父しかいないという状況の中、
手放してしまったお互いへの感謝と愛情を、もういちど、思い出してほしい。
そんな願いと祈りがあります。
何でも、望まれることをやってあげることが<愛情>なのか。
いつしか、こんなことを自問自答する日々が続いていました。
そこに少しでも<犠牲>という意識が湧いてきたとき
わたしは、その場所、その環境から<逃亡>することを決めました。
それは、これまでの人生の節目で、自分自身の精神の平和と安定を
最優先してきたわたしの生き方が、今もってそうであるということなのです。
自分自身をまず救う。
そうでなければ、誰一人救うことはできないのです。
この激動の環境の変化は、
わたしの家族一人一人に、間違いなく新しい発見と信頼と絆を
もたらすものと信じています。
これは私自身の宇宙に創造する<家族愛>の航海図なのです。