すべての「憂鬱」から切断される、真の宇宙に飛び込もう

2015年05月17日 16:48

1995年に作られて、公開前夜の2回のTV放映の後、

いきなり公開中止の事実上発禁状態になった映画。

「美しき緑の星」 (La Belle Verte) 

 コリーヌ・セロー監督作品 (フランス)

「切断プログラム」というキーワードが、全編に渡って

観る者に何かしらを発動させる・・・・・・・

<ある存在>にとって、それは起こってはならない

自らの破滅をもたらす重大な映画になってしまったようです。


この映画を観たわたしは、大好きなフランス映画らしい

ユーモアと映像、言葉、演出のすべてに大満足でした。


異星人が地球に<星外派遣>という冒頭のシーンからして

「お~~っ」となった訳でして。

自らの宇宙人魂を認識しているわたしには、「あれはどこの星?」

という推理にまず意識が向いた。

感動したり、「懐かしい!」と涙したりする人たちのコメントを見たりして

きっと、この星が故郷の人たちなんだろうなぁ。と想像したりしました。


私自身は、この星の人たちが、今の地球より何千年も進んだ星の

住人であるとして、いくらテレパシーや、超科学的な能力を開花していたとしても

あの超原始的な生活環境の中だけで過ごしているとは思えなくて、

もしかしたら、その<都市部>は描いていなかっただけなんじゃないかと

思うのでした。 あるいは、都市部は、惑星内部にあるのかもしれないし(笑)

5次元存在は、テクノロジーの粋を集めた都市部は惑星内部、そして惑星地表部は、

自然の調和の世界を残すかたちで、3次元物質存在に変容して暮らす。

みたいなこともあるようですし。

古代レムリアも、アトランティスも、広大な自然との共存部と

超テクノロジー(クリスタルエネルギー)で完全なる都市を形成する

地域とは区分されていたと記憶しています。


こういった私の話も、私自身の宇宙に関わっている様々な<情報>が

もたらすある意味<現実>なので、荒唐無稽と思われる方がいても

それは、承知の上なので、どうかご容赦くださいね。


続けます。


映画の中の「切断プログラム」は、本来の宇宙存在としての自覚を

呼び起こすための、この世の社会性、習慣、善悪、あらゆる二元性呪縛の切断。

本来の宇宙存在とは、宇宙法則そのものである<愛>ワンネスである意識。

そしてわたしは、赤ちゃんと主人公のミラが行った「交換プログラム」が

気になりました。エネルギーの交換の意味だとおもうのだけど、

どういうシステムなのか知りたかったです。


どの場面を切り取っても、そこに<天の暗号>が描写されている。

そして、ミラの星が映像で出る時、バックに常に聞こえている

風のような声のような低く柔らかい<音>は、星の発している周波数を現しているのでは

ないかと思ったりしました。

あれは、やはりプレアデス星団のどこかの惑星なのでしょうかね。


<耳鳴り>というキーワードもありましたね。

わたしも、常時高音で聞こえ続ける一定の<耳鳴り>と共に日常を送っていますが、

ときどき、その<音>が変化したり、強くなったりするときには

その意味を探ることをせず、ただじっと耳を澄ませて聴くようにしています。

それだけなんだけど(笑)



いろいろ思いを馳せると、どこまでも話は広がりそうです。

ただ、現在の地球に住むわたしたちが、今もっとも早急に「切断」されなければ

ならないものは、なにか?ということにテーマを絞れば、

あの映画が発信しているメッセージを受信し、それを受けて「切断」されたエネルギーは、

相当な影響力を持って、この地球全体の波動を変えることは想像に難くない。

いま、それが本当に必要になったのだと思います。




それにしても・・・・・

空の攻防は、まだ続いているようです。

そして、

宇宙空間でも。

アンドロメダカウンシルのバイオスフィア

Sarsta(サースタ)が太陽系内に停泊しているとも聞きます。

(もっともサースタは、金星と同じくらいの大きさで

3次元的には目視できないらしいのですが)

彼らは、ガイアの意識をサポートしながら

わたしたち人間の生命体エネルギーの波動上昇を、固唾をのんで見守っているのでしょう。



未だ、重なり合った次元の膜は

波打ちながら、重なったり離れたりを繰り返しているように思えます。

わたしたちの意識もその波にまだ乗り切れてはいません。


見えるものと見えないものを区別するのではなく

見えないものへの全面的な意識のシフトチェンジを。


スピリチュアルは<夢>ではない。

<意識科学>という(こういう言い方かどうかわからないけど)

近未来のわたしたちが学習する必須科目なのです。


見えないものとは,自分自身の本心の宇宙図です。

自分にしか見えないのに

まったく見ることのない、

信じることのなかった

禁断の部屋に戻るときが来ています。


禁断のお札を貼ったのは,わたしたち自身ではないのです。

自分の部屋の鍵を

管理人に非合法に取り上げられていたのです。


その鍵は、どこにあったのでしょう?

その鍵は、

ずっと私たち自身が持っていたのです。

もっていることを忘れるように<魔法>をかけられた。


そういう歴史のなかに、わたしたちの真実があります。


おとぎ話のように<魔法>は実在したし、

それが超テクノロジーというヤツなのです。


それが、高次元の存在の真実です。


自分だけの責任において、永久に自由である

その<見ようとしていない>真実へ,シフトチェンジすることです。

見えるものに、真実などありません。

見える=現実=真実  は違う。

それは見せられていることに気付いていないだけ。

見えるではなく、<観る>という意識に目覚める。



いかにも、SF的なお話のようだけど、

これが、現実であるということを

わたしは、日を追うごとに確信を強めています。

意識世界の宇宙は、その意識の向く方向に広がり続け

新な扉を開いたその向こうには

<知らなかった>

<想像しただけだった>世界が

現実として繰り広げられているのです。


わたしたちがこの3次元世界を<現実>として

認識するのと同じように、

その世界(次元の膜の向こう)には、

その世界の<現実>がそこにあるということです。



春色の風、空、太陽を仰ぐとき、

そのむこうにある星々や、銀河、その先のまだ見ぬ何かを

イメージ出来得るところまで

どんどんイメージしていく。

それが<進化>という永遠の探究者である

わたしたちの魂の目的ではないかと思うのです。